水戸家庭裁判所 平成2年(家イ)565号 審判 1991年3月04日
申立人 コティー・マリー
相手方 デュポン・シャルル
主文
1 申立人と相手方を、離婚する。
2 当事者間の長男デュポン・ピエール・コティー(DUPONT PIERRE COTY 1979年8月21日生)の親権者を相手方と定める。
理由
1 申立人は、主文同旨の審判を求めた。
2 家庭裁判所調査官○○○○及び同○○○○作成の調査報告書及びその余の資料及び本調停の経過を総合すれば、次の各事実を認めることができる。
(1) 申立人は、フランス国籍を有するものであるが、同人が20歳ころたまたまスリランカにおいて相手方と出会い、行動を共にするようになり、2~3ケ国を経て1979年5月日本に相手方とともに来て、那珂湊市に居住した。そして1979年8月21日当事者間に長男のデュポン・ピエール・コティー(DUPONT PIERRE COTY)が出生した。その後申立人と相手方はビザを更新しながら3年8月を日本で過ごし、1983年にヨットを完成させて親子3人で世界一周の船旅に出た。申立人らは、ヨーロッパ、カナリア諸島、南アフリカ、南アメリカ等を経て1990年5月に日本の小笠原群島に到達して世界一周の船旅を終えた。この間、フランスに2年間、ケニアに1年半及び仏領ギニアに1年滞在し、同地でそれぞれ働いて生活費を得ていた。申立人らは、長男のためにも正式に婚姻していたほうが良いと考えるようになり、1990年4月22日にグァムにおいて婚姻した。
(2) 相手方は、イギリス国籍を有するものであるが、1963年に軍役を退き日本に観光目的で渡来し、半年日本に滞在し、1967年ころその前年にメキシコで婚姻した前妻をつれて来日し、東京に居住して、読売新聞の英字版のコピーライターとして稼動し、その間に長女フランソワをもうけている。1970年ころー度英国に帰り1年前後してまた来日し、今度は水戸市に居住して、ヨットの作製を始めたが前記妻とそのころ離婚し、相手方は長女と共に自作のヨットを住居として、那珂湊市で生活をしていた。そして1977年長女とともに自分のヨットでイギリスに船出し、その途中で申立人とたまたま出会い生活を共にするようになった。相手方はその後申立人と共にイギリスに行き、一旦別れた妻のところにいた長女を連れてまた1979年5月日本に帰り、以後は申立人と相手方はヨットの製作や語学教師をしながら生活していた。その間長男ピエールが出生した。その後3年9月近く申立人と相手方とピエールは日本で生活し、1983年3月自作のヨットで3人で世界一周の船旅に出かけ、また日本に来たものである。
(3) その後また前記の如く申立人らは、1983年に世界一周をして1990年に来日し、那珂湊市に居住したが、申立人が病気にかかったこともあり、申立人において相手方との前記のような放浪的な生活を嫌うようになり、結局離婚すること及び長男は相手方が養育監護することに当事者間で合意ができた。なお、今後は申立人は引き続き日本に居住し、相手方との離婚成立後には、日本人である田中修司と結婚する予定であり、他方相手方は1年前後は引き続き日本に留まるつもりであるが、いずれ長男を連れて、アフリカのケニアに行き、同所において事業をしながら生活してゆくものの如くである。
(4) 申立人と相手方は、離婚することについて合意があり、かつ、長男についても相手方が今後監護養育するについて合意ができている。
3 裁判管轄
前認定の如く、相手方は、1963年に始めて来日して以来、1967年から約3年間妻子とともに日本に滞在し、かつ、東京において定職を得て稼働し、その後も1971年にはさらに3回目の来日をなし、その時は、水戸市及び那珂湊市において相手方の長女とともに自作のヨットで船上生活をしながら語学教師等をしつつ約7年間も日本において生活を続け、1978年5月イギリスへの航海の途中に申立人と知り合い生活をともにするようになり、1979年5月にまた日本に戻って申立人及び長男と生活し、その約3年半後に日本を出て、ヨットで世界一周旅行に出て世界各地を転々とし、1990年5月に申立人らとともにまた日本に戻り、現在の肩書住所地において長男とともに生活しており、ここ1年前後は日本に留まる予定である。
ところで我国の裁判所が本調停事件について管轄権を有するか否かの観点から見るに、以上の相手方の生活状況に鑑みるとき相手方には、右の意味における住所を我国に有するものということができ、かつ、相手方は本調停に出頭して、主文同旨の内容について申立人と合意をなしており、相手方の前記の住所地を考慮し、結局我国裁判所が本調停について管轄権を有する。
4 準拠法
(1) 離婚について
法例16条によれば、同法14条が離婚に準用されるところ、同法14条によれば、夫婦の本国法が同一であるときは、その法律により、その法律がないときは、夫婦の常居所地法が同一であるときは、その法律によるが、以上のいずれの法律もないときは、夫婦に最も密接な関係にある地の法律によることとされている。ところで、本件においては、当事者はその本国を異にし、また、申立人の日本における滞在期間は、1979年5月から3年半余及び今回の1990年5月以降現在までのもののみであり、申立人は、その後相手方としばらくして別居しており、以上の生活状況からすると、法例に14条及び16条にいう常居所を日本に有するとはいえないので、結局本件に適用さるべき法律は、夫婦に最も密接な関係にある地の法律ということとなる。
ところで、相手方は、前記のとおり日本との関わりを持ち、1963年に初めて日本に来てからは、その後1967年から3年、1971年から約7年、1979年から3年半余日本に滞在して語学教師等をして生活し、日本を離れていた時は、殆どヨットで世界を転々と巡りながら生活してきており、ここ20年間は日本以外には落ち着いて生活したことがないような生活状態であった。以上であるとすれば、少なくとも現時点においては、相手方は法例14条及び16条にいう常居所を日本に有するということができ、その他の前記の日本と相手方との関わり具合及び申立人も今後日本に引き続き居住し、日本人と早期に婚姻する予定であること等を勘案すると、夫婦に最も密接な関係にある地の法律は本件においては、日本法に他ならないということができる。以上であるとすれば、本件には日本民法及び家事審判法等が適用されることになるところ、当事者間において離婚の合意ができており、調停期日に当事者が当家庭裁判所に双方出頭してその旨の合意がなされたので、申立人と相手方の離婚を定めるものである。
(2) 次に当事者間の長男の親権者の定めについては、法例21条によることになるところ、右長男はイギリス及びフランスの二重国籍を有するところ、法例28条1項によれば、当事者が常居所を有するときは、その国の法律により、もしその国がないときは、当事者に最も密接な関係のある国の法律に依るべきところ、本件においては、当事者間の長男については常居所は少なくともフランス及びイギリスには存しないから、本件においては、法例28条1項にいう当事者に最も密接な法律によるべきところ、本件当事者間で長男の養育監護は、今後父である相手方がこれをなすことに合意があり、かつ、長男本人においてもこれを了解して相手方と現在生活を共にしており、今後相手方と長男はいずれ英語圏のケニアに居住し、右長男に対しイギリス人としての教育を受けさせたいとの意向である。そうであるとすれば、法例28条1項にいう当事者に最も密接な法律は、本件の場合イギリス法にほかならず、しかして、法例21条によれば、長男の父である相手方はイギリス国籍を有し、長男の前記密接関連国と同一であるから、結局イギリス法によることとなる。しかして、イギリスにおける子の親権、監護権の帰属の問題についての関係法規であるところの未成年者後見法(GUARDIANSHIP OF INFANTS ACT)、婚姻事件法(MATRIMONIAL ACT )及び婚姻訴訟法(MATRIMONIAL PROCEEDING SACT )等によれば、夫婦の離婚の際裁判所は、子の福祉を考慮して夫または妻のいずれかを、子の親権者とすることができるところ、本件においては、申立人及び相手方の前記の合意及び子の福祉に鑑み、相手方を右長男の親権者とすることを相当とする次第である。
5 本件は、申立人と相手方の離婚については法例16条及び14条により結局密接関連としての日本民法が適用されるので、当事者間に離婚の合意があるときは、調停離婚が許されるところであるが、他方子の親権者の指定については法例21条により、子の密接関連国であるイギリス法が適用されるところ、同国法においては我が国におけるが如き全くの協議離婚あるいは調停離婚制度は無いといってよく、親権者の指定は裁判所がなすこととしているので、申立人と相手方の離婚と子の親権者の裁判所による指定を同時になす関係上、本件を調停によらしめるのは相当でないので、当裁判所は、当調停委員会を構成する家事調停委員川崎準雄及び同藤須賀子の各意見を聞いた上、家事審判法24条により、調停に代わる審判をし、主文のとおり審判する。
(家事審判官 櫻井康夫)